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このカードの持つエネルギーと、カード本来の意味
今手にしている物を置いて、去っていくエネルギー。充分に手にしているがそれに満足することなく、新たな境地へ
大アルカナ・小アルカナセットで読み解く時の例ー場所によるリーディングの仕方
兎に角、『新境地へ向かう』と読む。
例えば、『0愚者』と一緒なら『軽い気持ちで、旅立つ』となるし、『6恋人』とのセットでは、『常に新しい事を探すのが、自分の本質』となる。
せっかく手に入れたのに勿体ないなんて、ケチくさいことは言わないらしい。
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今手にしている物を置いて、去っていくエネルギー。充分に手にしているがそれに満足することなく、新たな境地へ
兎に角、『新境地へ向かう』と読む。
例えば、『0愚者』と一緒なら『軽い気持ちで、旅立つ』となるし、『6恋人』とのセットでは、『常に新しい事を探すのが、自分の本質』となる。
せっかく手に入れたのに勿体ないなんて、ケチくさいことは言わないらしい。
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カップのA、2と進んで、3になると、だんだん心の境も取れてきて、皆で分かち合うまでになる。
シェアして心を分かち合う。その根底には、この心を分かって欲しいという気持ちが存在する。
大アルカナとセットで読んでみる。
例えば、2女教皇と一緒だったら?女教皇は『いつかきっと』。『いつかきっと分かち合える日がくるはず。』となる。
では、21世界とでは?世界は、『結局のところ』『全て~』なので、『結局のところ、最後には分かち合うことになる』ということ。
何もかも分かち合うのが、良いか悪いかはさて置き、遠慮が残る関係からは、さらに一歩進んだことになる。
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カップのナイト、このカードは理想の王子様を表します。相談者さんが男性の場合は、理想の女性ですね。ナイトなのに女性も表すのか?と聞かれるとちょっと変な感じはしますけれども、でもここは性別関係なく、理想の異性のことを表します。簡単に言うと、まさに白馬の王子様ですね。
そして、これにカップの性質がありますので、「感情が先に立つ」「誇り高く」悪く言うとちょっと「虚栄心」もあるというようなカードになります。
このカードもあまり難しいカードではありません。ただコートカードですので、実際の人を表すのか、性格を表すのか、というところはその時々によって読み方が変わってきます。
では大アルカナと合わせて読んでみましょう。
例えば、13の死神と一緒だったらどうですか?13死神は否定形でしたね。その人物は「理想の人ではない」「その人との間はロマンスには発展しない」という風に読みます。
次に例えば、20審判ジャッジメントと一緒に出た場合はどうでしょう?審判というのは様々な人まで巻き込むような、大きな決断を表します。ですので、その理想の彼若しくは彼女と一緒になるには、大きな決断が必要ということになります。
身内の人、自分の家族、両親や子供かもしれません。その人達まで巻き込んだ決断が必要、という風になります。
もう一枚見てみましょうか。9番隠者と一緒に出たらどうでしょう?9隠者というのは、「ひたすらと探し求める」いうことでした。ですから、このカードと一緒でしたら、「ひたすら理想の人を追い求める」「ずっとずっと白馬の王子様を探し続ける」ということになります。
理想の人が、必ずしも自分にぴったりの人であるとは限りませんけれど。今回はここまでです。
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さてカップの6を見てみましょう。このカップの6というのは、子供とお花がメインのカードです。
これはですね、「花が美しいと思うその心を取り戻す」「ただ花が美しいと思うシンプルな幸せ」を表します。そしてもし、相談者さんに子供がいたりしたら、その子供のことを表すこともあります。また、相談者さん自身の子供時代のことを表すこともあります。では大アルカナとセットでしたらどうなるでしょうか。
たとえば、3番の女帝とセットだったらどうでしょう?3女帝は、「家庭内のこと」また「内向き」「直感やひらめき」「柔軟さ」などを表します。
家庭内のことと取れば、「家庭内での幸せ」もしくは本当に「子供のこと」を表すのかもしれません。また「男性にとっての家庭的な女性」を表すこともあります。それがシンプルな幸せとして出てくることもあります。
次に7番の戦車と一緒だったらどうですか?戦車は「方向転換をする」「白黒はっきりさせる」などという意味ですので、「見方を変える、考え方を変えるとシンプルな幸せが一番」「子供に関しての見方を変える」または、「白黒をはっきりさせるのが幸せに繋がる」などとなります。
シンプルな幸せというのが、実は一番難しいのかもしれません。今回はここまでです。
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『ホープカード』そう呼ばれることもあるこのカード。
単体でのこのカードのエネルギーは、78枚あるタロットのなかでも、かなりポジティブな意味を持ちます。でも、9なのです。10ではない。
これは物質的な幸せを意味します。と同時に『幸せでいるのが当然』という気持ちもそこに内包しています。うっかりすると感謝を忘れがちなのです。
ですから、このカードが出たときは、希望と共に、感謝を忘れないように注意が必要なのです。
では、大アルカナとのセットを見てみましょう。
どの大アルカナとセットでも、そこまで込み入ったリーディングは必要ありません。
例えば、魔術師と一緒だったら?魔術師は、自分次第でなんでも出来るという強力なカード。この2枚を合わせて読むと、『物質的な成功は自分次第』となります。
では、16塔と一緒なら?塔は『理想が高すぎ、準備不足の為に上手く行かない』なので、『成功を収めるための準備が不足している』などとなります。または、感謝が足りないと足元を掬われるなど。素直に読めばいいでしょう。今回は、ここまで。
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このカード、カップの10は、カップの最終段階です。カップの9では物質的な幸せでした。10なので、その次の段階になるわけです。
物質的のみならず、精神的な幸せもあるということなのです。
ただ、決して精神的なことのみ、というわけでもないのです。
では次に大アルカナとのセットで見てみましょう。
例えば、0愚者と一緒だったら?愚者は、『軽い気持ちで踏み出したら』『楽しいからやり始めたら』ですから、『楽しいからやり始めたら、凄く幸せ』であるとか、『軽い気持ちで始めたら、これこそ求めていたもの』などとなります。
では、3女帝と一緒だったらどうでしょう。これは質問の内容によって、色々なリーディングが考えられます。
女帝は『家庭内のこと』『直感的、柔軟性』『女性的なこと』など、その意味は多岐に渡ります。ですから、『家庭内での幸せ』や、『女性的なことが幸せ』となります。
もし仕事のご相談だったら、『家内工業や、副業などで好きなことをするのが、精神的な幸せに繋がる』などと読めるでしょう。満たされた気持ちが一番の幸せですね。
今日はカップのキングの解説をしたいと思います。
カップのキングは一言で言うと、カップのクイーンの男性版です。
でもそれだけじゃよくわからないですよね?
カップというのは、そもそも感情を表します。キングはある程度大人の男性。年齢から言うと、30代以降。
もし相談者さんが女性の場合、結婚されていれば、旦那様。お付き合いしていればそのお相手の男性のこと。
さて、このカップのキングの性格なんですが、まず感情に流され易いと言うことが挙げられます。機嫌が良い時には、優しくてとても思いやり深いのですが、一旦自分の状態が悪くなると、すぐに機嫌が悪くなります。あまり理性的ではないということですね。
ただ根が優しいので、ものすごく怒って手がつけられなくなるというよりは、一人静かに機嫌が悪くなると言うのが、当たっています。そんな男性誰しもあったことがありますよね?
そして優しさと表裏一体の優柔不断さで、自分でパシッと決めることがありません。何か聞くと「いいよ決めなよ」というワードが多くなります。
じゃあどんなときに機嫌が悪くなるのでしょう?それは、自分にかまってくれない時や、お腹が空いた程度でも容易に機嫌悪くすることができます。
よく言えば、自分に素直。悪く言えば子供です。
そんな男性と付き合う女性の方は、機嫌を取らねばならないことから、それが余りに頻繁だと、疲れてしまいます。『自分の機嫌は自分で取る』ということを覚えてもらいたいものです。
とまあどちらかというと、ネガティブなイメージがつきまとうカップのキングですが、根本にある優しさは本物です。
現在の状態や潜在意識に、このカップのキングが出た場合、優しいけれど少し気分にムラのある男性、もしくは心の奥底に繊細な部分を抱える男性との関わりがある事をカードが教えてくれています。
また、もし男性の相談者さんでこのカードが出る場合、少し自分の感情を自分でコントロールする、ということを学んだ方がいいのかもしれません。
いずれにしろ水の男です。感情がメインだということを押さえておけば、案外付き合いやすいのかもしれません
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このカップの7というカードは、本当に欲しいものを意味します。カップが7つあり、その中にいろいろなものが入っています。それはどれでも好きに選べるのです。中に入っているのは人であったり、宝石や、不動産、健康を表すものなどですが、ひとつのカップにだけ布がかぶさっています。実は本当に欲しいものは、この布がかぶさっているカップの中にあるものなのです。
ただこれは表からは見えません。これは何を表しているのかと言うと、「本当に欲しいものは見えない」そして「本当に欲しいものは、手に入らないと思っている。」ということなのです。
欲しいものがわからないのではなく、きっと手に入らないだろうから、見ないことにしていると言うのが、このカップの7の本質的なエネルギーなのです。
ではこのカップの7が、大アルカナと一緒に読むと、どのような意味になるでしょうか。
例えば、17星のカードと一緒の時にはどうでしょう?星のカードは、こうだったらいいなという軽い希望です。本当に欲しいものが、手に入ったらいいなと軽く考えている状態ですね。
次に15悪魔と一緒に出たらどうでしょう?悪魔というのは、本当に欲しいものにこだわるというエネルギー。さあ、ここで「本当に欲しいもの」というキーワードが二重で出てきました。
本当に欲しいものは到底手に入らないだろうと思っていても、やはりそれに執着し、求めることが止められないでいる、という状態ですね。口に出して言わなくても、心の底で本当に欲しいものに、いつまでもこだわり続ける。絶対手に入れたいと思うあまり、自分にも負担がかかっている状態です。
このように、カップの7というのは、表面的には、本当に欲しいものを手に入れるという意味ですが、その底には「欲しいものはきっと手に入らない」と半分諦めているというのが潜んでいるのです。
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まずこのカードの本来の意味です。
それはズバリ”悲しみ”です。カップですので、感情での、本当の悲しみを表します。そして注目すべきはカップの内、三つは倒れて水が出てしまっているのですが、見ていないところで二つはまだカップが倒れずに残っています。
ところが、そちらには目を向けていません。これは、こぼれてしまった水を見て、ひたすら悲しく思う。まだ5分の2、大体半分ぐらい残ってるにも関わらず、そちらに気づいていない。もしくは気づいていたとしても、そこに焦点を当てていないということになります。
つまりは、実際に悲しいと思うような出来事はあったんでしょう。ですが、本人がどこに焦点を当てるかということで、悲しみの度合いが変わってくるということです。
次に大アルカナとのセットで見てみましょう。
例えば、そうですね、大アルカナ1の魔術師とのセットではどうでしょう?
魔術師は、”何でもできる””自分次第で全てのことができる”というカードでしたね。ですから、セットとして読むと、悲しく思うか思わないかは、自分次第ということになりますね。
次に出る場所によって違うでしょうか?もし、現在の場所に出ていた場合、文字通りその意味になります。しかし、過去や未来の場所に出ていたら、変わるでしょうか?
過去の場合、”悲しく思うかどうかは自分次第だった”か、”自分でやったことが原因で悲しく思うことが起きた”と読めますね。
では未来の場合はどうでしょう?基本の意味は同じ事ですが、これから起きることですので、”何かことが起こりますが、それを悲しく思うかどうかは、自分次第”ということになります。容易に変更できること、と読めますね。
次に死神とのセットで見てみましょう?死神は否定形ですから、”この悲しみも終わる”になりますね。ではこれが未来の場所に出ていればどうなるでしょう?
死神というのは、”そこに至るには遠い”もしくは”そうではない”ということになるのですから、同じように”悲しむことはない”もしくは”今辛い思いをしているのであればその悲しみが終わる”または”気持ちの部分で切り替えができて、悲しむことを止めにできる”と読むことができます。
いずれにしろ、カップというのは感情を表します。つまり、自分の心持ち次第で、いくらでも感じ方を変えることはできるわけです。事実である出来事なのか、それともただそう感じているだけなのか分けて考えることができれば、自ずとカップの5の状態から抜け出せるようになるはずです。
さてさて3人目のペイジは誰だろう?ソード・ワンドと続いたので、次はカップだろうか。
カップは水の属性、感情を司る。カップのペイジの意味は、わくわくしたいという性格、好奇心旺盛で少し独特なファッションセンスの持ち主を意味する。とてもお洒落さんである。
わくわくしていたいという気持ちの持ち主ということで、じゃあこれはワンドのペイジの何かをしたいという情熱とどこが違うんだろう?
ワンドの場合、行動が伴って何かをする創造的エネルギーを意味する。カップの場合は、何かをするしないは関係なく、”ただ楽しいことをしたい”、”いいことがあったらいいな”というエネルギーになる。
だから自分で行動しなくて構わないのだ。例えば周りで楽しいことがあって、自分も一緒に楽しくなれれば、それでいいし、受け身の状態で一向に構わないのだ。
未来に対して期待がなくても、今がワクワク楽しければそれで満足なのである。カップが示すところは現在であり、感情であるのだから。
ただし、未来を放棄して、刹那的であるのかと言うとそうではなく、ただ今現在をとても大事にするということだ。未来のために現在を我慢することもしないし、過去の苦い思い出で、今日の楽しいことを否定する訳でもない。
今ただここに生きる。
ペイジは子供であるがゆえに、素直にそれを行うことができるのである。そして子供だから感じるのは、自分の感情のみ。他人の感情に気づくことはない。
でもそれでいいのである。所詮他人の感情に振り回されたとしても、それによって他人が満足することはほとんどないのだから。