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ソードの7~罪悪感と贈り物

pastel colored gift boxes

ソードの7 といえば、盗人がちゃっかり剣を盗み出し、抜き足差し足で逃げようとしている様子が描かれている。

一般的には、ちゃっかりと、要領良く物事を進めていくと言うことを表す事が多いが、同時に何かを得たときの罪悪感と感謝をも表す。
罪悪感と感謝のどちらを表すのか?それは両方である。

人間うっかり、自分が受け取れるはずだ、と思っているもの以上のものを受け取った場合、素直にただありがたいと、 受け取れる人ばかりではない。
ラッキーと思って受け取っても、後には罪悪感が残る事が多い。
なぜ自分はそれをもらえたのか?自分ばかりもらえて何か悪いことをしているような。

本来なら贈り物というのは、誰かがそれを差し出して、受け取ってありがとうと言った途端にその取引は終了しているはずだ。
そのものをくれた人は好意からくれているのであって、受け取る方は感謝して受け取る、ただそれだけでいいはずなのに、世の中にはお返しなるものが存在する。
そしてお返しを返さなければ、イーブンではないという考え方が一般的にある。

『これだけしてあげたんだから、ちゃんとお返しをしてちょうだいよ。』言外に勝手に(偶さか言葉に出して)そんな言葉が込められていたりする。

送る方はそう思っていると、お返しがないと何かモヤモヤした気分になる。
もらう方はと言えば、その思いを勝手に(あるいは正しく)感じ取っては、ありがとうというよりは、とても面倒くさい、うっとうしい気持ちになることがある。

そしてお返しをしないと「借り」がそのままあるような、罪悪感だけが残ってしまう。

そうすると せっかくくれたその贈り物にも、感謝の気持ちが湧いてこず、ただお返しをしなければという義務感だけが残るのだ。
こうなると、実際に相手がどんな気持ちでそれを送ってくれたのか、ということはどこかに飛んでいってしまう。

でもはたして、相手は罪悪感を抱かせるためにその贈り物をくれたんだろうか?
ただ喜ぶ顔が見たくて選んでくれたのではないか。
だとすれば、ありがたく頂いて、嬉しいですという感情を返せば、それでその取引は成立。終わったことになる。ありがとうという言葉を貰っておきながら、更に別の物までよこせとはそれではタダの強欲である。

贈られた方はと言えば、そこで十分感謝の気持ちを表し、味わったなら、次に何かの折に、その贈り物をくれた人のことをふと思い出して、何かこちらから贈りたくなるかもしれない。

そうしたらその時がタイミング。『ただ自分の罪悪感をなくしたいためだけに、何かを送る。』それでは相手にちゃんと届かなくて当たり前だ。
何かをうっかり手に入れたら、ちゃんと受け取りましょう。そして、感謝しましょうと言うお話。

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